福岡県市民教育賞

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

教育者奨励賞 受賞

福岡市立 福岡西陵高等学校 教諭 松田 和宏 氏

1.受賞した活動を始めたきっかけ、また、課題をどう捉えたか。

 オーケストラを指導できる音楽教師ということで、平成11年福岡市立福岡西陵高等学校へ赴任しました。
 入学式で初めて本校管弦楽部の演奏を聴きました。演奏技術の困難な弦楽器を用いる管弦楽は高校生の部活動程度では不可能ではないのか?と思っていたため、「高校生にも管弦楽ができるんだ、よく頑張っているな」と素直に驚きました。しかしお世辞にも「うまい」と拍手を送るまでの演奏ではありませんでした。
 この年は、前任の顧問の先生が指揮を振られていたため、サポートする形で管弦楽部に関わりました。管弦楽部の生徒は学力も高く、自分たちで練習計画を作成し、自主的に練習に励んでいました。しかし演奏技術はさほど高くなく、また服装など、風紀面でだらしない印象を受けました。つまり、大会を目指して日々ハードな練習を行っている運動部やコンクール目指して土日もなく厳しい練習に取り組んでいる他校の吹奏楽部に比べれば、練習内容や規律の面から部活動というより、同好会や愛好会に近い活動であったのだと思います。
 また、学校外での演奏は年1回の定期演奏会だけであることを知り、「せっかくのオーケストラ、取り組み方次第ではもっと多くの人に音楽の喜びや感動を伝えることができるのに。勿体ない。」と考え、多くの福岡市民に知られるオーケストラにしようと心に決め顧問に就任しました。

2.実行する上で苦労したこと、工夫したこと、エピソード

 広く市民に知って頂くオーケストラになるためには、何と言っても演奏技術の向上が必要であると考えました。当時、年一度の定期演奏会では部員50名に対して、60名という倍近いエキストラを要していました。これでは技術が向上するはずはありません。そこで、まず、翌年の定期演奏会はエキストラ無しを宣言しました。部員からの反発は大変なもので、結果、多くの部員が辞めていきました。次に練習のモチベーションを上げるため、対外的な演奏場面を設定しました。とは言っても、それまで全く対外的な演奏を行っていなかった本校管弦楽部にはそう簡単には演奏場面は見つかりませんでした。近隣の公民館や知り合いの学校など、思い当たるところはどこでも頭を下げてまわりました。結果、平成12年度は4回の演奏場面を設定することができました。中でも当時、高校吹奏楽コンクール3年連続全国大会出場を果たしていた福岡県立城南高校吹奏楽部とのジョイントコンサートは本校管弦楽部の意識を変えた演奏場面でした。演奏技術も音楽に対する情熱も格段に高い同じ高校生との演奏を終え、卑屈になるかと心配しましたが、全国レベルの吹奏楽団と同じステージに立てた喜びと、そして身近に目標となる学校を見つけた生徒達の顔は輝いていました。
 平成13年、初のエキストラ無しの定期演奏会でのことです。演奏会の成否のひとつに集客数があります。「演奏会にひとりでも多くの観客を!」という合い言葉のもと、部員総出でチケット販売に奔走しました。販売先として部員は主に出身中学校に出向いていました。そんな6月の放課後、ひとりの部員が涙を流しながら私に駆け寄ってきました。話を聞いてみると、この生徒は出身中学校の吹奏楽部顧問にチケットを持って行ったところ、「お前の学校の演奏聴いたら耳が腐る。中学生に聴かせられん。」と言われチケットを受け取ってもらえなかったのだというのです。よほど悔しかったのでしょう、生徒は話し終わった後もしばらく涙がとまらず、手にはくしゃくしゃになったチケットをしっかりと握りしめていました。「いつの日かその先生が自分のお金でうちのチケット買って演奏を聴きに来るような管弦楽部になろう」自分に言い聞かせるように生徒をなだめました。

← 西日本新聞の記事より

3,実行を通して波及した効果・影響など

 平成14年あたりから演奏技術が着実に向上し、音楽コンクール等でも福岡県や九州の代表として全国大会に出場を果たすようになりました。部員も100名を越え、一時期は130名以上の状態が数年続きました。しかし、演奏技術ばかりに目がいき、ともすると演奏技術が高いものが発言権を持つ、というような風潮が見られるようになりました。同じ高校生、演奏がうまければそれでいいという考えを変えるために、平成16年からボランティア演奏やチャリティ演奏を始めました。例えば、福岡西方沖地震の際は、その半年前に手弁当で演奏に出向いた玄界島が甚大な被害を受けたことを知り、生徒自らチャリティ演奏を発案し46万円の義援金を届けました。また、東日本大震災の際は、津波で楽器を流され、活動ができなくなった岩手県陸前高田市の高田高校吹奏楽部のことを知り、「」ひとつでも楽器を届けよう」ということで、生徒が手刷りのビラを地下鉄の構内で配るなどしてチャリティ演奏を行いました。そして、52万円の義援金を送ることができました。ちなみに本校管弦楽部の年間総活動費は40万円足らずなのです。
このような活動を通して生徒は、コンクールで賞をいただくことも目標ではあるが、何より自分たちの音楽で人の役に立てることがあることや、自分たちの音楽を心待ちにして下さる方たちがいることに気づき始めました。本当の音楽の喜びを知ったのだと思います。

平成25年現在、本校管弦楽部は政治的に冷え切った韓国の同世代の音楽家との交流を進めています。これは、次世代を担う両国の若者が政治では解決することのできない人の心を、音楽を通してお互いを解り合い、つなげていくことを目的とした活動です。今年は、福岡でソウル近郊のユースオーケストラとの交流演奏会を2回行いました。来年(平成25年8月)は韓国釜山で地元のユースオーケストラと交流演奏会を行う予定です。

最後に、このように振り返ってみますと、風紀面の改善にしろ演奏技術の向上にしろ、いくら顧問が口で言ったところで大きな変化はありませんでした。様々な演奏場面を与えて頂き、その一つ一つに生徒自らが汗を流し涙し懸命に取り組み、また、様々な人に出会い、人の温かさややさしさに触れながら、いつの間にか改善・向上していったのです。誰かの言葉ではありませんが「勝手に畑の赤いトマト」なのです。
 現在部員は約104名、当初頭を下げてわずか年4回程度だった演奏場面も、現在は30回以上となり、演奏技術も全国屈指の高校生オーケストラと称されるまでになりました。
 しかし、生徒は「音楽の喜びと感動」を伝えるため、したいことを我慢し、十分とはいえない練習環境の中、厳しい練習に耐えているのです。時には他人とぶつかり合い、挫折感を味わうこともあります。その中から「耐えること、努力すること、他人を認めること、」など人としての様々な基礎を学び、そして他人から認められることの喜びをつかみ取るのです。その結果、自分に対する自信と誇りを持つのでしょう。この自信と誇りを持たせることが、現在、いじめ問題をはじめ、非行など青少年に関する様々な問題解決の手だてのひとつになるのではないかとさえ思うのです。

福岡市立 福岡西陵高等学校 教諭
松田 和宏 氏

1959年生まれ、福岡県出身。宮崎大学教育学部音楽科卒業。平成7年、文部省海外若手教員派遣団員としてカナダに派遣され教鞭をとる。平成11年より福岡市立福岡西陵高等学校に赴任。管弦楽部の顧問・指揮を担当し全国学校合奏コンクールにおいて8度の九州1位として全国大会出場(全国第2位:1回、第3位:2回受賞)に導く。平成23年、福岡市優秀教員として福岡市教育委員会表彰を受ける。現在、全国高等学校オーケストラ連盟理事、福岡県オーケストラ連盟理事、福岡県高等学校芸術文化連盟器楽・管弦楽部門専門委員長を務める。