福岡県市民教育賞

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

地域社会教育賞 受賞

NPO法人箱崎自由学舎ESPERANZA 代表 小田 哲也 氏

1. 受賞した活動を始めたきっかけ、また、課題をどう捉えたか?

 高校で教鞭をとっていた20年前。大学進学に向けた学習、クラブ活動に、いろいろな特別活動・・・。楽しい教員生活を送っていた。しかし、教員を辞めなければ!と思ったのは自分の力不足。「子どもたちの自主性を育む」ことができず、このまま教員を続けることはできないと思った。「再度、自分を磨き、何かをせねば!」と青年海外協力隊に参加することを決定。派遣されたのは南米コロンビアだった。経済的に豊かではないが、子どもたちは生き生きと生活し、相手のことを重んじながら、笑顔で生きている。その彼らの純粋さに惹かれ、途上国での国際協力に述べ7年関わることになった。協力隊員として現場で子どもたちと関わるときは、大変なこともあったが、本当に充実していた。隊員から調査員へ変わり、業務が変わり、ODA予算執行に関する案件形成などの業務になると、もちろん現場にも足を運ぶが、大臣級レベルの人との交渉が主で、仕事的は面白かったが、「やはり、自分は現場で子どもたちと接しているほうが似合っているのかな~?」と実感した。そこで、国際協力の第一線から手を引き、再度、日本の教育へ目を向けることにした。すると、私が教員を辞めるときには少なかった不登校や引きこもりが社会問題になっていた。学校に行かないことは悪いことではないが、学校から遠ざかり、家庭だけとの付き合い、社会からの孤立は、大きな問題であると考え、不登校の居場所を立ち上げようと考えた。

2. 実行する上で苦労したこと、工夫したこと、エピソードなど

 しかしながら、普通高等学校の教員経験しかなく、不登校・ひきこもり、通信制高等学校の制度など皆無の私は、事業を始めるにあたり、人探しが大変だった。私が高校の教員を辞める時に「子どもたちの自主性を育むために、寝食を共にしながら、それぞれが在籍する学校に行くことをしようか?」と先輩同僚と話していたことがあった。その先輩同僚も、職場を辞め、自分で子どもたちとのキャンプなどを行っていた。その彼が、幅広い交流の中で、経営が厳しく(一般的にフリースクールは経営が成り立たない!)、閉鎖に追い込まれているフリースクールのスタッフを見つけて、彼らと一緒にやるのはどうかという提案があった。これは渡りに船!子どもたちの将来をしっかりと見つめ、付き合う気持ちを持ったスタッフとの出会いが、現在のえすぺらんさの素敵な、そして、奇跡的な始まりである。何もかもが初めてのチャレンジ!学習活動、野外活動、ゲストティーチャー、調理実習・・・。全てわれわれスタッフ主導でさせるのではなく、一応最低限の枠は作っておくが、なるだけ、子どもたちの意見を取り入れるような方法をとることにした。しかし、今まで、親や先生が敷いたレールの上でキチンキチンと歩みながら成長してきた子どもたち。急に「自分で考えろ!」と言われても・・・。と言うのが当たり前であろう。いろいろと課題多いえすぺらんさである。

3. 実行を通して波及した効果・影響など

 そんな中、皆さまの支えによって活動を継続でき、9年目を迎えた今年2013年。中学生は、本来の元気を取り戻し、自信をつけて学校へ戻ったり、高校進学をしたり、それぞれ悩みながら、次の進路へと駒を進めている。高校生も大学・専門学校へ進学したり、アルバイトしたりしながら社会への入口を緊張状態で体感している。子どもたちは、様々な体験活動を通し、少しずつではあるが、オッケイの人間関係の積み重ねで、自尊感情を少しずつ高めていっていると感じる。
 保護者の方々におかれても、当学舎主催の毎月実施している「子育てについて語る井戸端議会(雑談の中から、それぞれお持ちの悩みを解決し、肩の荷をおろす会合)」や、年2回実施している不登校・ひきこもり当事者にご登壇頂き、ディスカッション形式で、渦中の方々の悩み解決の手助けをする「不登校経験者の声に耳を傾ける座談会」等が、当事者と共に、不安いっぱいのご家族の心のケアも行っている。
 えすぺらんさは、法人としては、自立できてなく、様々な方々の支援があって初めて継続できている団体であるが、設立90周年を迎え、今回の市民教育省を頂戴したり、福岡県アンビシャス表彰団体に選ばれたり、と草の根的な活動が、いろんな方に認められたことを嬉しく思い、楽しく活動させて頂いている。

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NPO法人箱崎自由学舎ESPERANZA
代表 小田 哲也 氏

1967年福岡市出身。大学卒業後、私立女子高等学校で教諭として7年間勤務。内1年間オールトラリアの姉妹校に派遣される。1997年退職し、JICA青年海外協力隊員として南米コロンビアの少年院へ3年間派遣される。帰国後、JICA企画調査員として中南米諸国へ4年間派遣。2004年に帰国し、2005年より、中高生の学校に行かない選択をした子どもたちの居場所「NPO法人箱崎自由学舎ESPERANZA」を設立。初級教育カウンセラー 保護司 福岡県青年海外協力協会会長